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WEST LAND、ブッダマンです。

極楽浄土とは

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極楽浄土

 

極楽浄土」とは、
大宇宙にはたくさんの仏がおられ、それぞれの浄土がある中でも、
最高の仏である阿弥陀仏の浄土を極楽浄土といいます。

一体、極楽浄土とは、どんな世界なのでしょうか。
そして、どうすれば極楽浄土に往けるのでしょうか。

 

極楽浄土の別名

極楽浄土には、極楽だけでなく、
色々な別名があります。

例えば、阿弥陀仏誓願に報いて建立された世界、
ということで、「報土(ほうど)」ともいわれます。

また、阿弥陀仏のことを安養仏ともいわれますので、
安養界(あんにょうかい)」ともいわれます。

阿弥陀仏の極楽浄土でのみ開くことができるさとりを
大涅槃」とか「大般涅槃」といいますので、極楽浄土のことを
大涅槃」とか「大般涅槃」といわれることもあります。

他にも「無量光明土
蓮華蔵世界
寂静無為楽
楽邦
浄邦
実報土
など、色々あります。

ただし、極楽浄土は「天国」ではありません。

 

天国と極楽との違い

極楽浄土は、六道輪廻を離れた世界です。
神の国である天国は、
仏教では「天上界」といいますが、
迷いの世界である六道の一つですから
やはり寿命があり、次に地獄に堕ちることもあります。

ところが、極楽浄土は、輪廻を離れていますから、
二度と地獄に堕ちることはありません。
極楽浄土に生まれた人の寿命も無限です。

ちなみに「輪廻」は迷いの世界だけに使われる言葉ですから、
極楽浄土に転生するとは言いますが、
極楽浄土に輪廻するとか、輪廻転生するとは言いません。

また、キリスト教で、この世の終わりに最後の審判があり、
もしの国に生まれることができると神のしもべとして生きることになります。
創造主である神と、被造物である人間には、絶対に越えることのできない区別があるのです。
ところが仏教では、極楽浄土に生まれたならば、誰でも
阿弥陀仏と同じ仏のさとりを開くことができます。
そして仏として永遠の幸せに生きることができるのです。

では極楽浄土とはどんな世界でしょうか。

極楽浄土はどんな世界?

極楽浄土はどんな世界なのかということについて、
集中的に説かれているのは、浄土三部経といわれる
『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3つのお経です。
これら浄土三部経をもとに、極楽浄土とはどんな世界なのか、見ていきましょう。

まず極楽浄土がどこにあるのかということについて、
お釈迦さまが『阿弥陀経』に、
ここより西のほう、十万億の仏土を超えて世界あり、名づけて極楽という
と説かれています。

この世のことを「穢土」といい、穢れた苦しみの世界ですが、
極楽浄土には、苦しみは存在せず、
ただ楽しみだけが存在するので「極楽」といいます。

極楽浄土は、本来言葉に言い表せないのですが、
余方因順(よほういんじゅん)」といって、
お釈迦さまが説かれているのは、私たちに合わせて、
私たちに分かりやすいもので説かれています。

ですから、もし聞いているのが猫であれば、
極楽浄土は宮殿も楼閣もみなカツオでできている
と説かれるかもしれませんが、
人間はカツオより宝石のほうが好きなので、
そういう人間の好きそうなものがたくさん説かれています。

極楽浄土の様子

極楽浄土はどんな世界かといいますと、
まず土地は「七宝」といって、金、銀、瑠璃(青い宝石)、水晶、
白いつやのある貝、赤い真珠、めのうなどでできています。

そして宝の池があります。
池の四方には水の中から岸に向かって、
金、銀、瑠璃、水晶でできた階段があって、
岸の上には、七宝でできた御殿が建っています。
仏教を聞く道場や講堂もあり、
やはり七宝でできています。

そして宝の樹木がたくさん生えています。

極楽浄土の宝の樹木

極楽浄土の宝の樹木は、やはり七宝でできていて、
金の樹木や、銀の樹木、瑠璃の樹木、水晶の樹木、つややかな白い貝の樹木、
赤い真珠の樹木、めのうの樹木や、
それらの組み合わせでできている樹木もあります。
それらにはやはり七宝の葉がしげり、宝の実がなります。

それらの宝の樹が並木となって、至るところに
羅網」という宝石であまれたきれいな網がかかっています。
それらが極楽の至るところをめぐったり囲まれたりしています。

極楽浄土の美しい音楽

極楽浄土では、どこからともなくすぐれた音楽が聞こえます。
そよそよと風が吹いていて、
宝石で編まれた網や宝の並木を動かすと、
妙なる音が聞こえます。
それは、百千の音楽を同時に聞いたようなすばらしさです。
その音を聞くと、みな仏と法と僧の三宝のご恩を念ぜずにおれないのです。

極楽浄土の宝の池

極楽浄土にある宝の池を「七宝の池」といいます。

池の底には砂金や、その他の宝の砂が敷かれ、
八功徳水」という、八つの功徳のある水が満ちています。

「八つの功徳」とは、『観無量寿経』の解説書である『定善義』によれば、
きよらかでつやがあり、塩素などの匂いがなく、
軽くて、冷たくて、軟らかく、美味しく、後味のよい究極の水です。

池の水面には、車輪くらい大きな蓮華の花が咲いています。
青い花は青く輝き、黄色の花は黄色く輝き、
赤い花は赤く輝き、白い花は白く輝き、
美しく、香り高く咲き誇っています。

極楽浄土の蓮華の秘密

極楽浄土には至るところに宝の蓮華の花が咲いています。
一つ一つの蓮華の花には、百千億の花びらがあり、
白や黒はもちろん、黄色や朱色、紫など、
限りない色の輝きを放っています。

その一つ一つの宝の蓮華の花は、三十六百千億の光を放っています。
その一つ一つの光から、三十六百千億の紫金の仏さまが現れます。
その一仏一仏が、それぞれ百千の光明を放って、
大宇宙の限りない人々のために、
妙なる法を説きに行かれます。
それが、大日如来薬師如来
地球の私たちのもとに来られたのは、
お釈迦さまです。

極楽浄土ではどんな生活をするの?

極楽に生まれた人も
極楽浄土のありさまと同じく、
言葉で言い表せない人間の想像を超えた姿で
自然虚無(じねんきょむ)の身」を受けていると
説かれていますが、お釈迦さまは、
少しでも私たちに分かるように教えられています。

それによれば、極楽浄土に生まれた人は、
みなまったく差別なく競争もなく、姿形も違いはありません。
清らかな身体で、智慧が高く明らかで、神通力もえられます。
端正な顔立ちは、人間界最高の美男美女どころか、
その何億倍も美しい天人や天女さえもはるかに超え、
さらにその百千万億倍の美しさです。

そして美しい服を来て宮殿に住み、
美味しい食べ物を食べています。

極楽浄土の朝

朝が来ると、極楽にいつも花吹雪のように空から降っている
白蓮華の花びらを入れ物に入れて
大宇宙の十万億の仏方にお供えしに行きます。
(他にも好きなものを何でもお供えできます)

そして、どこからともなく流れる美しい音楽に合わせて
仏の徳をほめたたえたり、仏の教えを聞いて、
限りない喜びを感じます。

極楽浄土の食事

食事の時間には戻ってきて、食事をしようと思うと、
面倒な食事準備はしなくても、自然に目の前に七宝の食器が現れて、
百味の飲食(ひゃくみのおんじき)」が満たされます。

ところが実際に食べる人はなく、
それを見たり、かぐわしい香りを味わったりすると
食べる前にすっかりお腹いっぱいになります。

すると食事は、手間のかかる食事片付けはしなくても、
ひとりでに消えてしまい、極楽浄土を散歩しにいきます。

極楽浄土で仏教を聞ける

阿弥陀仏が極楽浄土の講堂で、妙なる法を説法なされるときには、
みんな集まって聴聞し、心に喜びとさとりを生じない人はありません。
どこからともなく風が吹いて、宝の樹木がそよいで、
ファンファーレのように美しい音楽をかなで、
美しい花吹雪が限りなく散り乱れます。

そうでなくても極楽浄土には、
鶴やクジャク、オウム、かりょうびんがなどの鳥がいて、
いつも仏法を説いています。

もちろん極楽浄土には、地獄餓鬼畜生はないので、
これらの鳥は、過去世の悪業の報いで畜生界に生まれたものではなく、
法を説くために生まれたものです。

極楽浄土に生まれた人は、これらの鳥の声によっても仏法を聞くことができ、
仏法僧の三宝のご恩を念ぜずにおれないのです。

苦しむ人を助けることができる

そして「恩を知るは大悲の本なり」と説かれるように、
極楽浄土に生まれた人は、
慈悲の心がありますから、まだ苦しみ悩む人がいるのに、
「自分だけ助かったからもういいや」とは思えません。
いつでも好きなときに、苦しみ悩みの穢土に戻ってきて、
仏教を説いて、縁のある人から救うことができます。

それがまた、極楽に往って仏に生まれた人の喜びなのです。

このような極楽浄土や、浄土に生まれた人の様子は、
あまりに素晴らしすぎて、お釈迦さまの大雄弁をもってしても、
「百千万劫かけても説き尽くすことはできない」
と言われています。

では、この極楽浄土にどうすれば生まれられるのでしょうか?
お釈迦さまは、
極楽浄土は非常に往き易いが、往っている人が少ない
と説かれています。

どうしたら極楽に行けるのか

お釈迦さまが往っている人が少ないと説かれるように、
極楽浄土へは、死にさえすれば誰でも往けるのではありません。
修行や学問で行ける世界でもありません。
極楽浄土への行き方は2通りあります。

1つは、以下の3つの条件を満たすことです。
1.一日数万回念仏を称える
2.臨終に心を乱さない
3.臨終に阿弥陀仏にお迎えに来て頂く
しかしながらこの3つの条件は、毎日数万回念仏を称えることは
実際には非常に難しいことですし、
臨終に心が乱れたり、阿弥陀仏にお迎えに来て頂けなければ、
因果の道理にしたがって火車来現して次の世界に沈むので、
死ぬまで極楽に往けるかどうか分からず、
死ぬまで不安はなくなりません。

もう一つは、仏教を聞いて、生きている元気なときに
六道輪廻の根本原因を絶ちきられることです。
それは煩悩ではないので、それさえ絶ちきられれば、
煩悩あるがままで、いつ死んでも極楽往き間違いなしの身になります。

ですから生きているときに仏教を聞くだけで
極楽浄土には簡単に往けるのに、
みんなそれをしないので、
お釈迦さまは、「極楽浄土には往き易くして人なし
と説かれているのです。

では、煩悩ではない迷いの根本原因とは何かについては、
分かりやすいように以下のメール講座と、小冊子にまとめてあります。
ぜひこれを知って、極楽浄土へ往ける身になりましょう